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フリーゲーム論─何故面白く感じるか─

http://libertatem.org/2008/02/freegame3.html

はじめに

いろいろとフリーゲームについて考えて暇を潰していたところ、たびたび見る内容を思い出しました。今日はそれについて反論、というか思い出してもらいたいことを書き綴るわけだけども、いかんせん試験シーズン真っ只中。簡単に書いて、必要であれば後日追加記事が必要かもしれません。

1章:遊び手は何を期待するか、期待するべきなのか

さて、期待するべき、なんて素晴らしいほどに高慢なタイトル。それはともかく、先にリンク先の記事を読んでもらえると話が早い。

「フリーでここまで出来るのは凄い」という褒め言葉からも分かるように、「市販の作品にどれだけ近づけたか」が、フリーゲームの評価軸になっている節があります。市販のゲーム=『完成形』、フリーゲーム=『未完成形』という構図になっているわけです*1。しかし、市販のゲームが『完成形』なのであれば、逆に言えばお金さえ払えば幾らでも『完成形』が手に入るということでもあります。

[ゲーム製作] アマチュアとは一体 | sam113のブログ的生活(実践編)

参照元は5段落からなる内容。書かれたのは2005年と、もう3年前だが、この内容もいつも話題になるものだ。

さて、世の中にこのような見方をする人たちは、遊び手に多くいる。作り手の場合は、似せようと努力して評価されるのであれば、本望であろう。しかし市販を意識していない作り手に、しばしば向けられるこの発想は、すこしむごすぎやしないか。

単に遊び手がこう告げたとき、僕には『あんまり考えていないんだなぁ』と思わざるを得ない。いやまあ、世の中の大多数の人は考える必要はないのだけれど。これは、どっちが正しくて、どっちが間違えているとかの優越感を求めるためではなくて、純粋にフリーは何を想い、作られているのかという根本を見ていないんだな、っていう僕にとっての一種のつっかかりになるわけだ。それはなぜか。

2章:フリーゲームって、なぜあるの?

そこに切り込んでいくのがこの章だ。フリーゲームはなぜ在るか。これを考えたことはあるだろうか。

僕には、これが作者の思惑により、5つくらいに分類できると予測するけど、今回考えるのは1つで良い。それは、依然告げたように(フリーゲーム論─買うとタダの違いとは─覚えの無い方はこちらを参照)、楽しく時間を潰せるから。ずばり単純にこれだ。

ただしこれには前提がある。特にビデオゲームと呼ばれたこのデジタルゲーム群において、僕の予想では、市販のゲームが存在しなければ、フリーのゲームは成長しなかっただろう。それどころか、記憶違いでない限り最初に作られたテニス、は市販のため(製作にあたっての動機は技術的探究心でも、次に商売への転用を思いつけばこういっていいだろう)ならば、フリーゲームは存在しない今がある、と言い切ってもいい。

これにより何を言いたいのかというと、ゲームする人はすべて等しく、先にゲームに触れた上で、自己表現としてゲームを思い立っているということ。だから上が正しければ、ゲームで遊んでいなければゲームをつくろうなんてまず考えない。これにより、フリーゲームを作る人は皆、市販ゲームを知っているわけだ。

つまりは、フリーゲームを作るとき、目標にするしないにかかわらず、市販ゲームが既に頭の中にあるわけである。そして、その概形を意識して初期のフリーゲームは作られた。ノベルゲームで言えば『雫』や『傷痕』で『天雨月都』などが作られているわけだ。そして、ドラゴンクエストを経て、RPGツクールが作られたわけだ。少なくともこの点では否定する見方は出来ないだろうと考えている。

そして以後のフリーゲームは初期のフリーゲームも参考の域に含まれる。そうやってきて、今へと至る。

3章:もしフリーが優秀であるならば

ここまでで、商用があってのフリーだと書いた。そこから僕はこう言いたいのだ、フリーゲームは商用の日陰であり続けるべきで、決して商用と並ぶべきではない。

例えば、だ。フリーは品質が低くて遊べない、と言う方には理解できないかもしれないが、そうでない人には共感してもらえると思うことがある。それは、商用をにおわせる品質のフリーゲームに触れたとき、果たして手放しで売り物に近いタダに喜べたかどうかだ。僕は作者の意欲には敬意を払うが、このレベルに達した瞬間に、フリーとしてではなく、商用と同格のレビュー基準へとシフトする、無意識下に。そして作者が複数かつ少人数だった場合。もしかすると不純な動機すら感じていかがわしく思うかもしれない。

それはなぜか。フリーとしてあることがそもそもの疑問なのだ。間違いなく同人で出せば利益を得られるであろうものなのに。僕はこの点について、もしかすると作り手は、この決定的に高い品質がフリー界において、頂点に立つと考えて公開しているのだと汲み取るだろう。そうでなくとも変革をもたらす、と考えているかもしれない。

しかしそれは必要な行動なのか。今まで技術の幅がある中で、各人がさまざまな思惑で作ってきたところに、敷居を高くして弱者を排除する必要は、決して無い。簡素なゲームは以前にもまして手に持ってもらえなくなり、ここまできた場合は間違いなくフリーは衰退するだろう。

感情的ではあったが、要は、そこそこにあった品質を提供するほうがいい。それに対して文句を言うのであれば、貴方が何を対価として与えているか考えるべきである。多くの場合は作り手はメール一つで大いに喜ぶ。それすらも怠っているのであれば、何も言うべきではないだろう。だから引用文は、お金を払わない限り完成形は手に入らない、とお金の価値をもっと上げて考えたほうが良いのである。

最終章:自らの心を深く見つめるということ

いよいよ最後だ。もう一度上の引用文を見てもらいたいが、抜き出してこよう。

「フリーでここまで出来るのは凄い」という褒め言葉からも分かるように、「市販の作品にどれだけ近づけたか」が、フリーゲームの評価軸になっている節があります。

[ゲーム製作] アマチュアとは一体 | sam113のブログ的生活(実践編)

この1文で思考を止めるのであれば、思うに感情の動きを捉え切れていない。「フリーでここまで出来るのは凄い」という褒め言葉、何故出てきたのか。クオリティとゲーム性の2つに由来するものだと思う。一つ目のクオリティについては作り手側の習得した技術に依存してしまう、つまりこの点については、別途に作者を褒める言葉を探すほうが適当だろう。つまり、セミプロの能力をもってゲームを作ったのですね、と言うことだ。ただこれを言うと嫌味になってしまうので先の言葉に内包されているわけである。したがってゲーム性がこの一文の本質をついていると考える。

それはそのゲーム性を通じて、語り手はある商用のゲームを想起したからである。だから商用と引き合いにしてしまう。もしゲーム性が斬新であるなら、わざわざ商用と比較せずに、ただその斬新さを褒めるはずだ。

僕はここがフリーゲームの魅せる本質を担っていると考えている。すなわちフリーゲームは、最初に説明したフリーゲームの表れに従って、根底に商用を敷いている。そして時に商用と似ているシーンをフリーの中に見つけることがある。この瞬間、フリーゲームは、ビデオゲームの始祖とした商用、また何か意識した他のものからイデアとしてユーザに想起させているのである。これは悪く言えばオマージュやパクリとも取れ、したがって商用では頻繁に使うことが出来ない技である(ズバリ実践例で言えば『ハヤテのごとく』だ)。

そして世の中の荒削りのゲームに拒絶反応を示す方は、ここを理解できないのだと思う。けれどもフリーゲームにはこの想起を適度に使うことは推奨できるし、遊び手はこの独特な空気がゲームの持ち味だということを理解することが重要だろう。

あとがき

今、引用元のコメントを読みましたが、事実同じように考えておられる方がいたようです。今回は駆け足になりましたが、今出来る範囲で、僕が具体的に書き綴ったので、この3年間にもっと良い答えが出てないのであれば、今僕のしたことは決して無駄にはなっていないと思います。

といいますか...また執筆に3時間。実際に書いているのは2時間程度ですが、やはりもう少しかかるものです。しかも7割完成までは1時間なのに残りの3割に1時間。まあこういったものは考える過程に価値があり、自己成長のためなので必要な時間だとは言えるのですが...

さあ勉強もしなきゃならないし絵も描かなきゃだよ、朝はいつも憂鬱だよ!ということで、ここまで読まれた方、お疲れ様です。僕もお疲れ様。この記事が少しでも貴方にとって有益であることを願ってます。

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2008年2月18日 19:18に投稿されたエントリーのページです。

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