世界最低の国、日本。僕はこの記事を見て涙した。今の日本にとって、これは非常に大事なことだから、つたない言葉だけども私見をここに書き綴ろう。
僕がリンクを張るのは、転載されたはてな匿名ダイアリーの「世界最低の国、日本(転載)」(本文はMixiにあるので、このワードを検索してください)、そして「長野に行ったけど、警察の対応について。」、の2つ。最初のほうはぜひ読んでもらいたいのと、これは誇張表現がありすぎると思う方は、まだ警察を擁護している2つ目を読んでもらいたい。それを踏まえたうえで、引用しつつ考えていこう。
まず僕は長野には行っていないので、この日の出来事については一般報道を中心に、2chのニュー速+の1の記事を読んで、結論付けていた。それも、意外なことに警察が頑張って問題なく終えたんだなぁ、なんて思うくらいでいた。
しかし翌日になると、なにか衝突があった、とかぶっちゃけ沿道には中国国旗しかなかった、なんて情報がネットに増えてきた。それと同時に韓国での聖火リレーの写真を見て、共産カラーに覆いつくされた沿道に違和感を感じていた。
で、こういった情報を読むときは全部鵜呑みにするとまずい。たとえそれが全て真実であったとしても、100%読み取る術はこちらにはない。それは上記のエントリにも言えることだろう。
僕は上のエントリで、『中国人がやばかった』、『警察は中国よりだった』、『どっちかっていうと中国人のほうが強暴だった』ってところは真実だと思う。僕の書き方では、どうやばい?どうよっている?などの疑問の余地があるだろうが、そこはつめて考えずに広く考えてほしい。
一つ目のエントリでは、警察が中国様のパレードのために、体制にとって邪魔な日本人を排除した、と読み取れる。でもこれは間違いだろう。正しくは二つ目のエントリ、中国人の人数より下回る警察の配備体制が問題だった、のほうがまだ的確だろう。こちらの場合は、暴徒化した中国人が警察の人数を上回るため、治安維持の観点から警察は国民を押さえ込む方法に出た、とも書いているし読んでいてわかりやすい。しかし結果、警察がそう動いてもプロセスの解釈が僕はいささか異なってくる。
それを語る前にマスコミについても考えよう。というか僕は結論付ける。(いまさらだけど)マジでこの国のマスコミは真実を報道する気がさらさらないんだな、と。正直これには毎度毎度失望している。
そこで問題だ。なぜマスコミは、警察はこんな状況にあるのか、まさにこれだろう。今回の長野の聖火リレーで責めるべき悪しき存在は他にある。
まずマスコミは慈善事業ではないということ。必ず資本元が存在して、寝首をかくようなことは日本のマスコミにはできない。だから今の創価学会の批判の少なさにも繋がるし、金さえ入ってくればどうでもいいと考えるマスコミ関係者も多くいるのだろう。この点を改善しない限りはどうにもならないので、下手すりゃ海外のマスコミを通じて日本を見たほうが的確だったりするおかしなことになる。
同時に警察もそうだ。例えば今回の件で、青ジャージが中国から派遣される是非をめぐり言い分は二転三転した。最初に、主権侵害と言い、僕はまさにこれが正義だと思った。しかし結局派遣を受け入れ、要は主権侵害という主張を、他に大事なことがあるのだ、なんていって撤回した、これが問題だ。当日デモ参加者にとって足りない人員配備もまさにわざとだろう。履き違えてはいけないのは、あくまでも警察は中国人ではなく、デモ参加者を取り締まるのに十分な量を配備しようとした結果であると思う。
警察だって人間だし、僕からすれば、抑えてくださいって現地で言っていた警察は、ウザいデモだ、って思って行動しただろうか。むしろ日本なのになんでこんなことになるんだろう、なんて思った方も居ただろう。板ばさみは予想以上に辛いものだ。
また、警察は自分の意思ではなく、(お上から)配備される。今回の件で気がつかなければいけないのは、三権分立が分立していることは妄想だってことかもしれない。今の時代はどんどん癒着し、潜り込まれた人間が増えれば増えるほど、機関は本来の目的からそれてくる。これを忘れてはいけないだろう。
話は変わるが、中国人がこの国に大勢いるのも、治安維持の観点から問題だ。これについては、まったく知らない人よりは真実を語れるだろう。
僕には中国人の友人がいる。小学校からの付き合いでいまでも良い友人であり、若いうちから住んでいた彼は割と日本人の気質である。しかし取り巻きが違う。父親は良い感じに中華(思想)であり、父と酒を飲みあったときも、言葉でお互いを牽制しあっていた。あの人は温厚であったが、温厚であれならマジで怖い。
そして現地での話も聞けるのだが、中国人はマジで暴れる。YouTubeにあるように暴れる。なんでもすぐ喧嘩をするからストレスとかたまんないよ(笑)、らしい。
しかも反日教育ぶら下げて、日本にくる留学生は本当に必要な留学生なのか。また勉学のみに励んでいる気配も見られない。僕が高校生の時に、PCのゲーム(CS1.6)にハマっていたときがあったのだが、クラックサーバー(製品を持ってなくても遊べる、持っていても遊べる)で、延々と遊んでいる中国人とも何度か会話したことがある。優秀ならともかく、ゲームをしにくる留学生は要らない。
そんなことがあいまって今回の件になったんだろう。警察を責めるのはお門違い。じゃああなた、警察入って、そういわれたら、出来ませんっていって辞めるんですか?って話。企業に入っても同じ。技術者倫理から、それはありえないからできません、内部告発してきます、っていうんですか?って話。これが100人に1人できているなら、100000人に一人は、日本にとってこれは悪しき存在だ、とトップの命を狙う人がいてもおかしくない。ただ、一人一人が守らなければいけない家族もいれば、路頭に迷った後の保証だってないのだ。信念だけで飯は食えない。
そして二つ目のエントリの最終行、「責めるべきは、外国である日本の地方都市で組織的に中国人の大量動員を行い、無責任に愛国心を煽った中国政府だ」、こう考えるのではなくて、もっと日本国内を改善するように一人一人が考えていかなければならない、と僕は考える。中国人の留学生も多すぎるのだ。そもそも日本が外敵に対して無頓着なのであって、スイスの国防に対する気の持ちようくらいあっても良いはずなのだ。
だから僕たちは真の愛国心を持って日本を良い方向にもって行かなければならないのであって、知りうる範囲で相互関係を考えるべきだろう。どこぞの政治家が選んだ国民が悪い、と言ったように、政治家が裏切るのはもちろん論外だが、裏切られないという幻想も捨てなければならない。一つ一つの問題を摘出できていれば、今回の問題は過ぎたことだが、今後日本は変われるはずである。反対になすがままならば、いずれ何らかの形で世界最低になってもおかしくないのだ、と考え続けることが後の危険を回避できるのである。
もう一つ。こういった小さな積み重ねを無視すると、いつかドイツのナチスの一文のように、動いても間に合わない時がくる。ましてや人間はここ数十年で賢くもなっていないし、歴史を振り返れば、この世界は200年も続かずに変動するだろう。だからそうなったときのためにも幻想を捨てて、せめて自覚ある人たちだけでも賢くなろうと努力するべきだろう。
