ただの感情垂れ流しですので、いつもの僕を期待している方、興味がない方はなんにも価値がありません。ただ、フリーゲーム論なんか読んで、僕に興味を持ったなら、ちょっとだけ面白いかもしれません。文章なんて完成を期待せずに、ただ思うがままに手を動かしております。
サイトをドメインと共に公開してから1年と1月、僕が思い描いていたサイトに作ることができたでしょうか。実際のところ、サイトの完成とは程遠く、こんな丸裸な視覚効果で続けさせてもらってます。
この1年間は色々と変化がありました。僕の中では、17歳の1年間が一番無駄に過ごした時期で、ついで18歳を無駄に過ごしました。結局のところゲームに明け暮れていたわけですね。
絵を練習したほうがいいと思っていたことも多くありました。学業に身を裂いたほうがいいとも思いました。それでもどちらとも放棄して、多分現実逃避をしていました。そんな無駄な2年がいまだに僕のブランクとして年齢相当に至らない色々、といった形で圧し掛かってきています。
まあ、僕は世間によくいるダメ人間です。感情面でも欠落し、思考のほうも優れていない。いつか『フリーゲーム論』なんてヤツばりに考察をしようと思っていますが、僕は極度のコンプレックス持ちだと考えています。極度かどうかなんてわかる訳ないし、自分で評価するしかないのですが、多分極度、だと思います。何がどうコンプレックスって、自分以外の他者、全てにコンプレックスを常に感じているはずです。これは精神衛生上よくない。
極度にコンプレックスを感じる、ということは、他者の良さが、多分一般より鋭く見抜くことができるのです。自分にないものを見ることができる。そうすると、自分の無力さに、加減があれど残念に思うのです。そうするとやはりストレスとなって自分に帰ってきます。これが禿げる原因ですね。と、同時にまあ、目がいいってことは他人の悪いところにも僕なりに目が行くわけです。これは自分にない点の裏返しですね。自分をよく見ていると、自分より劣るところにも敏感になるわけです。ただ、これを貶すとか陥れる、って要因に使ったことはありませんし、考える性質もないので、それだけの話ですが。
行き場のないコンプレックスは、僕の中で感情と共に変質します。最高にいい性格だと、これをバネにできるわけですが、僕はそれができません。最悪の変質先は嫉妬、でしょうね。これはよくない。自分がないものに手を伸ばし続け、それで叶わない、と知ったとたんに、それを持っている他人を妬むわけです。自分にも他人にもよくない。こういうタイプは、宗教をやるのが一番でしょうね。それも禅とか組んでるといいと思うんです。
ありがたくも、僕はほとんど嫉妬しません。この妬み、って感情は僕からできる限り遠ざけなければならない。ほかの見方からは、これは競争心を呼び覚まし、人間としての野生を高める、とあるのですが、僕にはこの感情はいらない。変わりに与えられたのは逃避という答えでした。
逃避は色々と便利でした。叶わないものからは目をそむければいいわけです。これは試験前なんかに発揮する方が多いんじゃないかなーと思うのですが、僕はこれを発揮する範囲がちょっと広いようです。
そうやってゲームとかに逃げました。それでも真剣に逃げるから、逃げるなんて当人はちっとも考えていません。芸は身を救う、なんて本気で思っている人間ですし、その都度ゲームばかりうまくなっていきました。
…まあ、ここでいうほど、ゲームしか持ちネタのない人間ではないですが、僕の精神世界ではこういった人間像で佇んでいるのです。
そうしてフリーゲームを漁り、PCゲームを漁りました。以前数えたのですが、フリーゲームは軽く200本以上、ギャルゲーを除くいわゆるPCゲームは拡張抜きで47本もやっていました。するとゲームの本質、というものがちら、ほら、と見えてくるのですね。
幼いころ本気でゲームを作りたくて、進路を選ぶとき本気でゲームを作ろうと思って、今こうやって生きていても、自分の精神世界をゲームに置換したくて埋めたくてここまで来たわけですが、まだまだ、スタート地点にも立てていない現状です。そしてプログラマは俺にはちょっとキャンセルだ、なんて思ってる今ですが、こうやって情報分野の学生を続けているわけで、それが僕にとっていまだ満足な人生です。
中学のころからR制限のかかるような血液の描写、残酷性のあるゲームをしてきましたが、僕から言わせてもらえば、それに大いに育てられたと思っているわけです。僕の構成祖は、僕という本質を担うDNAと僕の父親と、祖父母を中心にした年長者と、ゲームな訳です。そこから自分のモラルや思想が生まれてきたわけです。
なんだかよくわかりませんが、それだけゲームが好きな自分は、先日後輩に、面白いゲームはないですか、なんて聞かれてフリーゲームまで紹介していたわけですが、『(shiki)さんのゲームをやっているの見ていると、こっちも面白いです』なんて、柄にもないこと言って、そしてあれはどうもお世辞でなかったようですが、つまりはにじみ出るくらい好きなわけです。
こうやって知識レベルが高まり、数ヶ月前から書き出したフリーゲーム論があるわけです。
昔は年齢以上に文章を書くのが得意な文学少年でしたが、ゲームのし過ぎを抜けたころには、そんな誇れた自分もどこかに消えていってしまいました。理系のレポートに補正された筆の癖は、ゆるく書きたくても、どこか堅苦しく、葛藤が起きて次第に怪しい文章を綴っていきます。
それであの文章は、自分のある面での集大成の他に、恥ずかしい何かの塊でもありました。結局僕自身の備忘録と言うことでとどまり、wwwの端っこで掲載され続けました。
それが'08.04.25に駄文にゅうすで紹介され、アホみたいに人が流れてきました。といっても数百人ですが。
掲載された先が駄文とモロに銘打っているので、もうなんというかアレですが、流れ込んでくれると読んでくれる人とかいます。反論や共感もあったりします。そうするとやっぱり、書いて無駄じゃなかったなーなんて思えるわけですね。
ネットを見ていると、僕より長い間ゲームについて考えている人とかがたくさんいます。よくそんな金にもならんことを、なんて思いますが自分だってしてますし、金がほしくて書いているわけではありません。
まあなんていうか、僕のサイトはブログ、じゃなくてweblogであって、備忘録だったり他者の有益な話がないといけないわけです。それを少しでも達成できたことはいいことで、モチベーションもあがります。
サイトを持つということは、結果的に僕にとってプラスとなっています。良いアルファブロガーに関する記事を見ましたが、彼らもブログから自分を高めることに大いに成功しているようで、こうやって考えると、人間を後押しするのに、いいツールなような気がします。
なんてだらだらと訳もわからんことを書いてみたわけですが、はい内容なんてございません。いたずら描きと同じようにこれはいたずら書きなわけです。ただ手を動かし続けるのも面白い。
酒は入っていませんが、酒が入っているのとなんら変わらない内容です。といってもここまで読んでしまったのなら、飲兵衛の会話に付き合ってもらってすみません。終わりの言葉ってそうそう思い浮かばないなあ。ただこれだけの内容。
