メイン

ゲーム制作 アーカイブ

2007年9月24日

横STGの公開率が低い理由とは

とと。お久しぶりですこんにちは。久々に、試験からの逃避もかねて一筆です。

さーて、こういった問題をタイトルで提示してみましたが、皆さんはどうお考えでしょうか。実際にこの問題は、横STGのレベルデザインを考えていた際にすぐにぶち当たったものです。横STGはフリーではほとんど出回っていなく、同人では金銭の都合もあって探しにくいのである程度して、諦めました。

フリーでは『た小屋』さんの『シューティングスター』が一番目を引きました。このゲームの特徴は、一日のプレイ回数制限と、多くのアイテムによるキャラクター成長だと思います。また、RPGツクールのグラフィックとフリーサウンドから構築されていた模様。いわゆるグラディウス系に属するSTGだと思います。

同人では『オレンジジュース』さんの『スグリ』がビビッときました。特徴は、ステージ突入時に多彩な武器から2つだけ装備して開始することと、ダッシュによる高速なポジション取りです。また、ダッシュには(既知の範囲では)類を見ないシステムで、一定の弾はダッシュ中は完全回避なので一見よけれなさそうな弾幕も容易に回避できてしまうものです。しかし続けざまのダッシュは、被ダメージ増加のペナルティを受けてしまいます。これにより戦略性が生み出されている模様。なおシェア拡張で対人戦もできるとのこと。グラディウスではなく、新感覚弾幕ゲー、といったところでしょうか。

この二つからは多くを学びました。そして楽しいことも間違いなかったのですが、なぜかそれに追従する作品が出ていないようです。事実フリゲ総合サイトを5股くらいかけても、目に付くことはありませんでした。

そこで以下に作らない理由にふさわしいものを列挙してみます。

  • 素材が調達しにくい
  • プログラムの問題
  • ニーズがない
  • ゲームデザインの問題

でしょうか。思いっきり割愛しますが、上から3つは僕にとって障害とは思えませんでした。そこで4つ目です。基本、横STGは弾幕ではなく、RPG要素を強くもったシステムです。なのでそのシステムを構築する際に特色を強く打ち出すならば、縦STGとは全く異なったバランス調整が必要であることと、同じく、横から見たグラフィックが必要であることでしょうか。そしてこれらがあいまって、最近よく見られる東方的弾幕STGの経験では横STGのノウハウには繋がらないのが原因では。また、自機のアップグレードもあるので、データ量が膨大になることが壁をさらに高くしているかも。多くのフリーゲーム作者は個人製作の場合、プログラム上手ならSTGやアクションを作れども絵心足りず、絵心あればノベル作れどもプログラムできず、って感がありますし。そうやって考えると、前述したシューティングスターは只者じゃない。

結論は、個人製作の場合は作りたくても敷居が高い、同人の場合は元を取れるかが心配、といったところでしょうか。結論までの持って行きかたが下手ですが、しばらく調べた結果がこれかと。

さて、僕らのSTGもすこし前進しました。今回はプログラムメインの変更。メニュー画面や当たり判定、いやらしい弾幕などプログラマの頑張りがすごい。あと、自キャラモーションを一部置き換え。写真じゃわからないがこんな感じ。公開が迫っているので、試験明けからはもっと真剣に取り組みます。なのでバンバンアップしていこうかと。

2007年10月 5日

中毒性の高いゲームの作り方

断っておきたいことは、ゲームも作ったことのない僕が、考えた実に滑稽な文章であることと、単純にクリアまでのスパンが長いゲーム(クターのようなものは除外)が対象であること、それを念頭においてもらいたい。下手な文章は、単純に『か、勘違いしないでよ、weblogなんだからねっ』と逃げておく。

結論から言うと目的をすりかえることではないだろうか。と、思って僕はゲームを作っている。それをステップ別に表記してみる。

  1. 見た目かが面白そうだったから、レビューを読んだから
  2. 続きが気になる、エンディングが見たい
  3. アイテム収集がやめられない、隠しダンジョンがクリアできない

以上のようにおよそ3段階に分かれているものだと経験則から判断した。また、今回重要なのは3段回目である。経験の元は、今までやってきたPCゲームの良い点をひたすら汲もう、汲もうと思ってきたただそれだけである。

まず1段階目では、理由付けとして弱いものであり、かつ、多くの人に触ってもらえるものである。ここで成功するためには、宣伝やデモムービーといったもので、今の時代ニコニコやゲーム登録を行えば即効でクリアできるものなので省略。2段階目は、シナリオの結末を追うこと自体が楽しいものとなり、最後まで遊んでもらうこと、中毒はその先にあるものと考えているので、ここについても省略。

さて3段階目、本題。クリアした後もやめられないゲームにするためにはどうするべきか。当たり前のことだが、スコアアタックや新しいキャラクタでクリアを狙うこと、アイテム収集を楽しいものにさせること、等のすり替えで実現できる。それを列挙してみよう。

  • スコアアタック(プレイヤースキルへの挑戦)
  • 複数のキャラクタを設ける(ステージを違った角度から捉える)
  • アイテム収集(物欲を満たす)

大雑把にこの3つではないかと考えている。

やり込みの中で、東方や音ゲーはスコアアタックに分類されるだろうし、これは製作者側も、作ったシステムの極限を狙ってくれるので、制作時間の割に長時間遊んでくれることになる。しかし、ゲーム自体に魅力がないと、そもそものやり込みをしてもらえないのが悲しいところ。

新しいキャラクタでのクリアは、『縛りプレイ』と類似しているかもしれない。有名どころは、ロックマンとフォルテの使い分けや、Diabloの開始時のキャラクタを変えることだろう。しかし、キャラクタ毎に、そのステージがクリアできるのかできないのか、そのフォローは、といったバランス取りが難しいだろうし、反対に差が少ないと、それぞれのキャラクターでクリアする意味そのものが無くなるので、実装は比較的難しいほうだろう。

アイテム収集はどうだろうか。もしかすると、スーパーマリオ64でのスター120個もそれに含まれるのかもしれない。ジャンルによっては、アイテム主集=コンプリートとなっている和ゲーも多く、これをもってやり込みとしているPRGは大多数だろう。実装に当たっては、特別にレアなものには新たに(簡素でもいい)イベントを汲んだり、幅を持たせることによって飽きさせないものができるだろう。実装は量にもよるが簡単である。

それでは成功例から考察してみようと思う。東方は、上記の考え方では『スコアアタック』と『複数のキャラクター』の2つを実装しているといえる。そこで、このやり込みの原動力についてであるが、(僕は廃でないのでアバウトだが)東方ではスコアアタックのために高難易度に挑み長時間遊んでいる。反対に、そのキャラクターと弾幕の癖が好きだから、高難易度まで遊ぶとは言い難い。キャラ萌えでは一役買っても、それ以上の働きは持っていないと思われる。東方の最終的な魅力は、純粋なスコアアタックに行き着くといえるだろう。

Diablo(2)ではどうだろうか。本作では、『複数のキャラクター』と『アイテム収集』である。このゲームでは、最終難易度まで行き着く際に、装備によるキャラクターの強化手段を見せられ、またそれによりゲームの進行が著しくスムーズになるシーンが何度と無くある。それにより、強敵や進行不可のストレスから、強力な装備によるスピード感のギャップを得るために、ひたすらアイテムを探し続けるものとなる。しかし、装備制限等により、自分のキャラクターが欲しいものがすぐ得られるとは限らず、僕自身その間にキャラクターの『鞍替え』を考え出すパターンであった。Diabloの場合は、アイテム収集とキャラクターチェンジによって、飽きを遅らせることに成功しているといえる。

例として2つ挙げたが、かたやSTG、かたやRPGと共通点は無いし、また飽きさせないといっても方法が数多くあるために、(少なくとも僕の文章力と時間では)一概に纏め上げることは出来ない。しかし、内容が多ければいいというわけでもない。東方でクリアに応じて画像が手に入ったとしても、劇的にゲーム性が変わるものではないだろう。(実際に、カメラ+シューティングの作品もあるのだが、撮影後の画像の魅力より、そのもののゲーム性の方が重要視されている作品であった。)Diabloでスコアアタックがあっても、それは単純に要件を満たすためのビルド(キャラクター作り)を一つ多く提案するだけだろう。僕は、優秀なゲームを作るためには上の1つないし2つを満たすだけで十二分であると考えている。

開発者が比較的容易に提案できるのは、これら3点だけであると考えている。代わりに、ユーザーで作り出すものもある。軽く触れておくが、キャラクター愛によるものや、新しい遊びの提案である。前者は言わなくとも日本人の得意なものだろう。後者はmodであり、そのもののゲーム性を拡張したりと言ったものも多い。今後機会があれば、この点についても考えてみたい。

ところでドット絵です。今回は2つほど乗っけておきますね。そろそろエフィクト等を作ってゲームの見た目を盛り上げていきたいところです。

2007年10月22日

ゲーム制作ってどんな感じ?

仮執筆、しばらくしてから加筆修正予定。

この2週間で8日間ほど5時間ずつゲームのドット絵やらグラフィックやらにあたっていました。以下の文はその間感じたことのまとめです。自分よりも初心者の方のゲーム制作、また作ってるやつ実際どうよ?な方に参考になればいいのですが…まあ、取るに足らないサンプルとして閲覧ください。なお私個人としてはバットエンドだと思いました。あしからず。また、ゲームの制作自体の所感だけを読まれたい方は、「今回の考えが通用するであろう範囲」「ゲーム開発にあたってどのような点を考慮すべきか」の部分だけで事足りる内容かと思います。

開発にあたってのバックストーリー

プログラマ、デザイナ各一人。ゲームの開発経験は本作のver1.0を除いて経験なし。またバックボーンは既にあり、それをベースに改善を図る。なおグラフィックの流用はなし。ゲームバランス、トータルイメージともに零、行き当たりばったり。展示に間に合わすべく一月程度、特に2週間前から開発。開発に当たり、デザイナが主権を取る。

ここでまでですが、プログラムは既にある程度の改良がなされてました。また、ここでの展示とはおよそ学校組織だと考えてください。

ゲーム概要

横シューティングであるが、弾幕系ではなく、Flashゲームでありがちなプレイヤーの能力が上がるor装備変更を予定。従って既存のものよりディレイ等を設けた、アクションゲームのようなシステムを用いる。ライフ制を取り入れる。解像度を比較的高めに変更可能にする。1024x768を標準条件として開発。また、複数プレイ可能にする。これを個々のPCで起動しLAN,Netwark間での共同プレイを可能にする。動作環境の下限を高めにし、またMacでの動作も可能にする。

これらの点の多くはデザイナが考案し(我侭ともとれるが)、それを元にプログラマが吟味、実装するものだった。その際に意思疎通を限りなく行うようにし、イメージは他ゲームをサンプルを用い、考えのすれ違いが無いようにした。ただし、全体のレベルデザイン等はデザイナしか認知していないまま進行した。

開発期間の作業内容

デザイナは全体の構成を考えて、ドット絵に起こすことにした。その際モーションをキャラクタが持っていなかったので、その点を中心にドットに起こしていった他、伴って敵の書き直しや、発射弾をグラフィックとして描いていった。また、プログラマはそのモーションをとるように拡張したほか、今回のメイン部分となるネットワーク部分の実装を行った。 この段階ではおよそ順調で、予定通りの実装を予定通りに行い、動作確認を行った。しかしそれとは別に、それぞれがデザイナは自身の表現力に、プログラマはネットワークの実装という問題に直面した。

この時プログラマがどう考えていたかは僕には分かりませんでしたが、デザイナの方はドット絵を新規で描き始めて、1モーション5時間程度かかっていたので、実装限界を感じていました。また、技能が全くの発展段階であったので、1つめと2つめのモーションで、当人が気になる程度の表現力の差が出てしまっているのもメンタル面で突っかかるものとなりました。

展示前の作業内容、初日

期限が一日と迫っていたので、手を付けていなく視覚的にインパクトを持つ部分の実装を行った。この段階ではUIが満足していなかったので改善を図り、また、直前までネットワーク対応を試みた。結果、10時間で初日(二日間あります)は以下の実装を行うことができた。

  • プレイヤーライフのUIの実装
  • マップの背景レイヤー(3層)の実装
  • 新規ショットの実装

ここまでですが、デザイナはイラストツール、ドローツールを使用した経験が過去に10時間程度しかありませんでした。従って実装に時間が掛かる掛かる…また、プログラマはネットワーク部分を完成させることができませんでした。

展示会場でゲームを実行した際に、グラフィックスが貧弱なPCで、特にビデオメモリをメインメモリと共有といった使用だったため、必要十分なFPSを稼ぐことができませんでした。そのために背景レイヤーを一つにすることに。また小さいお子さんが多かったために、ゲームが難しいとの声が多く聞こえてきました。

展示前の作業内容、二日目

初日の問題を押さえ、再度拡張を試みる。既に徹夜済みの身だったので、睡眠時間を4時間程度確保した後、徹夜モードに再突入。実際に変更できた点は以下の通り。

  • スコアのUIの実装
  • プレイヤーライフのUIの描き直し
  • マップの背景レイヤー(3層)の小メモリ化
  • 新規ショットの実装
  • 新規敵のショット、パターンの実装

イラストツール、ドローツールが前日の修羅場モードにより何倍も上手になってしまったので、描き直し。以前は自由変形のコマンドすら探すことが多々ありましたが、集中するとさらに難しいことを覚える人間ってすばらしい。プログラマもいろいろと修正。

二日目の展示の際、FPSの問題の改善に成功。他、難しいとの声が上がっていたために改善した結果、かえって簡単と言われてしまいました。実質これは失敗。

開発期間を振り返ってのまとめ

昨年度の出来を考えると、おおむね改善することができた感じでした。展示の出来具合に関しては、入場者やお子さんには受けがよくなり、長時間遊んでいかれる方が増えていました。

反対にゲームを制作する過程としては全くもって駄目だった、とまでは言いませんが、30点ぐらいだったと思います。デザイナはヘタレ、具体的に製作中にドット絵の経験等が豊富でないために品質が常に常に過去のものが劣ってしまう傾向がありました。(ここに関しては僕個人は不満を抱いてはいないのですが)プログラマとしても前年度の設計を引きずってしまったために、拡張に幾分か失敗してしまうことがありました。

今回の考えが通用するであろう範囲

中規模から大規模かつ少人数でのゲーム制作、また製作技術の向上を目的に含んだものに当てはまるかと思います。また、プログラマ寄りではなく、デザイナ側の観点から見たものです。プログラマは筆者のような人間を相手にすることも考えると、多少自制心をもって実装するシステムに疑問を投げかけれる人間を目指すといいかもしれません。一人なら全て自分の責任ですし、大人数ならスキルをそろえるのは難しいため、実力のあるもの同士で制作したほうが安定するであろうからです。

ゲーム開発にあたってどのような点を考慮すべきか

まず言うまでも無くそこそこの規模のゲームであれば、行き当たりばったりの設計はやめるべきなのは当然です。しかし本当に最初から最後まで予定通りの実装が可能か、といわれれば僕の性格上NOとしか思えません。なにか想像ができないようなものが突然頭をよぎったりするでしょうし、そもそも行っていることは、他者から要求された仕事の様なものではなく、単純に同人であり、経験ほしさであり、もっと娯楽的な意味合いを孕んだ制作物であるからです。また、社会人のように時間がないのでなければなおさらだと思います。

従って改善方法として、まずは単純な実装を行って、イメージを膨らませて制作に取り組む方法が良いと感じました。先に上げるのはプログラムでも素材でも構わないので、ある程度の量を制作します。プログラム、素材ともに、既存の制作物を取り出し、どんな感じであるかを表現しても良いでしょう。このとき、ゲームの最初から後半ごちゃ混ぜのキャラクターや世界観でいいと思います。そのほうが全体像の情報が局所的に多いわけではなく、全体の見通しがつくからです。

発想はBrain Storming法に習ったものでしょうか。このBS法とは非常に誤解を招きやすい表現で簡単に説明しますが、否定的でない案をどんどん出していき、質より量を整えた後に、考えを結合し改善していくものです。この方法は着想、創造、計画、問題解決技法として最も多くされている方法とされています。これに従って素材を元に、イメージを膨らませて、実際に面白そうか、実装に問題は無いか、技術的に実現可能かどうかから考えていくといいでしょう。僕らも失敗もありましたが、この方法を要点でとると、意思疎通を行ったり、具体的な実装を行いやすくなる点が多々ありました。

次に素材の異なる点をピックアップすることを忘れないでください。実際に制作するに当たって、他の横シューティングを参考にしたりしましたが、解像度の関係でパーティクルが同じような表現をしていることを望むと、平均より大きな画面サイズで設定していた僕らのゲームに違和感が生まれることとなりました。こういったもの以外にも、RPGだったときに、ドットパターンの参考を、あまりにも広い範囲から選ぶと、イメージや表現の一貫性が取れなくなったりすることもあるでしょう。

最後に、どんなときもenjoyすることを忘れないことです。小さなパーツが画面に表示されたとき、些細な動作が表現されたとき、知人がこれを見、驚いてくれたときそれぞれの感動を忘れずに改善を図り続けることが重要です。困ったときはお互い励ますといいでしょうし、時にお互いに迷惑がかかるといった『人質』にし合うこともいいでしょう。(笑)それでも駄目なら、何か映画でも見て気分転換でもして、決して冷め切ることの無いようにしてください。

2008年1月24日

フリーゲーム論─買うとタダの違いとは─

こんな更新頻度ですが、なりたいなならなくちゃぜったいなってやるアルファブロガー。

そう思ったのも、最近僕のサイトで少し面白い動向が見られることをうけ、ほうなるほどそういうことか、と頭を捻り、”ユニーク”かつ”レア”な記事がウケると感じたからですね。これについては1月のアクセス解析で追って報告する予定。

閑話休題。今回はフリーゲームについて、どのようなものがこのwebにおいてwebのみでの存在を許す革新的な作品にすることが出来るのか、を『買う』と『タダ』という金銭の絡んだ観点から考察しようと思う。フリーゲームは多くの要素、作り手や遊び手も含むものであり、たかがblog一回の記事で全体を説明できる持論を展開できないので、徐々にこの謎を紐解いていきたい。

1章:買うということ

さて、買うとはいうまでもなく、金銭を使うわけであり、他の経済活動を抑制してまでそれに投資することである。それでは、お金を払うときに人は何を考えるのだろうか。

大抵の人はゲームに多くの金銭を割きたくはないだろう。あくまでもゲームは暇つぶしであり、社会的な生活を送るためにはゲーム以外の話題も必要だ。そのために、そのゲームを買うということは、休日などの空いた時間を潰すこと、リフレッシュする題材を増やす目的のためであると考えている。しかし対人戦のあるゲームでは、他人に勝つためという目標が加わるだろうし、STGではハイスコアを目指すという目標が加わり、要はジャンルによって多少の幅を持つことはありえることも考慮しなければいけない。が、これらはそのゲームに対して、現状他のゲームよりは良い物であると個人が願い、そのシステムを遊び倒そうとしているが故の行動なので、既にこの段階に至っているということは、そのゲームは端的に言えば成功しているといえる。

ということは、ゲームが飽きるまでの活動を分解すると、最初に心を動かすために必要なものは、『(シリーズであったり、革新性であったりすることからの)この作品を買えば、満足できそう』という魅力である。そして当然のごとく、ユーザはその払った金銭と等価もしくはそれ以上の満足感を求める。

2章:買ったが不満だ

よし、買うことで期待する効果は以上のものだ、と僕は考えるが、反対に『買ったのにクソだ!』と思わせるということはどういうことだろうか。

昔僕は『ヨッシーストーリー』というNintendo64のソフトをクリスマスプレゼントに買ってもらった。年末商戦もあり、高速で売り切れ、第二期で購入したことを覚えている。朝並んで手にしたときは、感動で小学生でありながらも涙を流していたことは、その後感じる不満とあまりにもコントラストが強すぎた。

まずプレイして4時間でエンディングを迎えた。セーブが出来ない。ヨッシーアイランドはとても長いストーリーであったのに、あまりにも変更が多すぎ、想像していたものとまったく異なっていたのだ(後のマリオストーリーもそうであった。腹いせに連続ジャンプ111コンボを達成した)。この想像していた出来とは悪い方向に異なった、ということはクソである(悪い方向なんだから)。悪い、とは言ったが小学生のあのころからすると、何本もゲームを買ってもらえる身分ではなかったので、やはり長持ちする、ということが至上命題なのである。それを満たすことの出来なかったこの作品を、僕の誕生日まで遊び倒す羽目になったことは言うまでもない。

さて不満に思った次の瞬間には、それを実行できるかどうかはともかく、『二度と買わねーぞ!』と思うのは間違いない。少なくとも、買い物を失敗した自分に対する戒めの言葉か、作り手に対する不満をぶちまけていること請け合いである。幸運にも『二度と買わねーぞ!』は上の二項を満たしているようだ(笑。

この心の動きが起こるということは、元は遊びを求めて(=快楽)ゲームを購入したわけであるが、ことが済んだ後には、『金銭』と『時間』に対する『実害』を被ってしまっているのである。こうなってしまうと本末転倒だ。流石に、無駄な 買い物にご用心、と気を利かせてくれたとプラスには考えられないだろう。とにかく、こうなってしまうとケアできる状態とは言えない。

3章:買うことの結論

回りくどくなったが結論を出そう。ゲームを購入するということは、金銭と時間を失って(その全貌が何であるかもわからないのにもかかわらず)漠然と期待するエンディングを迎えることである。もしくは満足して飽きることである。それが出来た作品はシリーズ物になりうる。そしてユーザーは冒険することをやめ、漠然とユーザが期待している通りのエンディングをむかえたシリーズを今度もそうであるだろうと期待し、購入することとなる。これが遊びを『購入』をした結果のユーザーの多くの姿である。

次に売り手側の結論だ。資本主義の観点に立ち、利潤を求めるために売り手がすることは、以上のユーザーの期待を満たし、確実に売り上げを維持することである。反対に不満が多い作品は、よっぽどのリテイク、リメイクが行われない限り、関連した作品は二度と出てくることがない。極端に言い換えれば、売り手側は商売であり、その作品がユーザーに喜ばれれば、信念も何もあったもんじゃない訳だ。

上の二つの視点を統合し、さらに得られる結論は、ユーザは確実な娯楽を求め、デベロッパはその最大公約数を満たし、より多くの売り上げを求める。これがゲームを買うことの利害関係である。

4章:タダだということ

以上の買うとことは、もしかするといまさら語る必要はないと考えている方もいるだろう。僕自身先ほどの展開は資本主義経済にのっとって考えたつもりであるし、これで間違いはないと思っている(…が、知識が足りないために見落としがある可能性もある。出来れば指摘してください)。

いさあいよいよ後半だ。ここからが今回の中核であり、僕の仮説の展開である。

上の『買うということ』からは当たり前のことがわかるが、それをタダで展開すると、とても面白いことになる。ユーザ、デベロッパの前提条件が成り立たないからだ。

フリーゲーム(以下フリー)はどのような判断、経路でユーザが入手し、それで遊ぶのだろうか。フリーの場合は、PCでゲームをするという、比較的マニアックな行動であり、既に一般市場と異なるユーザが作品を選別することとなる。その際に特に僕が異なる点と考えているのは、ユーザはフリーの場合はより能動的にゲームを探すことである。フリーは、作者(フリーの場合はスタッフは少数なので作者が妥当であろう)が空いている時間に金銭的な対価は求めずにゲームを作ることがほとんどである。そのために、同じ作者の提供する同品質の作品は多くの場合期待できない。従って同じ系統のものを遊びたいとしても、ユーザは自分でレビューを読むなりスクリーンショットを見るなりで判断しなければならない。そうやってゲームを手に取るわけである。

この段階では、買う場合と大して差は無く、目的もほぼ同じである。

5章:落とした作品が不満だ

このときに勿論つまらないこともある。多くのユーザはクレームを入れるだろうか。音質が悪い、絵が下手だ…と言ったところで改善は望めない。作者も時間は無いし、ユーザ自身も無料のそれにそこまで憤慨する価値も無い。ただつまらなかったと心の片隅で感じ、PCから消すだけだ。

何故そうなのか。単純に『金銭』は問題から抜け、『時間』だけの損失となるからである。それも金銭を伴わないために、途中でやめるという時間を棒に振る選択も比較的容易に行うことも出来る。片方が意識から抜けることにより、問題は絡まることなく、単純に解決が出来るようになる。

時間も等しく重要じゃないか、といわれる方もいるかもいれない。確かに重要であるが、多くの人間にとって時間 は重要であれども価値がわからないものであるように思える(これについてはより詳しい文献などが多くあるだろう)。金銭は同じ活動を全ての人に可能とさせるが、時間はいつも要らないときに余分にあり、必要なときに枯渇するものである。だから、人は時間がさして重要でないときにはその価値について考えることも無いだろうし、そうであるからこそゲームを探しているのである(テスト前の逃避については除く)。

さて、ここからがユーザの心理として異なる動きが生まれてくる。不満なら消せばよい。面白いと思うのなら続ければよい。ある種本編が体験版のようなものだ。本当にマッチしたものは、知らず知らずの内に引き込まれ、最後まで遊びきるのだろう。不満について考えているときに、対極のケースを語るのは可笑しいがフリーとはそういった傾向も強くある。

以上が僕を含めたユーザの心の動きである。投資を時間しかしていないために、判断を緩めることが出来る。ということが最大の特徴である。

6章:それでは作者側はどうなってくる?

以上を踏まえると、売ることが目的とは異なり、フリーはユーザが許容できる幅をもたらし、結果として作者の作品が受け入れられる幅も生まれていることになる。

幅があることは解った。ただ作者側もデベロッパとは異なる視点を持っていることも忘れてはならない。まず、作者は作品の目的を、自己表現、技術向上、顕示欲、享楽、あるいはメモと違うものを意識して作っている。あまりにも人それぞれなのである。だから勿論、市場に出すことを目的にすると利潤のために販売本数増加以外の目標がないがしろにされてしまいがちだが、その例と同じく多くの人から高評価をいただくことは、作者にとって良いことであっても至上命題とはなりえないのである。これについては共感を得られない場合がありうる。特に創作をしない方ならばそう感じない人がいても可笑しくはない。ただあえて難しい言い回しで表現させてもらうが、それはユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学と近似しているものといえる。資本主義の中では想像しがたいが、事実として他の価値基準があるということである。

やや難しい流れになってしまったが、上の段落を要約すると、別に人気である必要はない、ということだ。最初からフリーとして遊んでもらうことよりも、作者の作りたいものを作った成果物がフリーとして公開されているケースの方がほとんどであることは自明だろう。少なくとも多くの作風から、もしくは作者たちが作品を作り上げるのと同じ姿勢で多くに触れ込みまわっているわけでもないところから、そして僕自身一作者として僕はそうであると結論付けている。

同時に作者がそれを目的にしていることはユーザも肌で感じ取っていると思われる。もしくはその作者の好みに凸となった作品に触れることにより、そのような関係を作り出しているかもしれない。

7章:そうすると関係はどうなるのか

もしかすると話の内容を忘れられている方もいるかもしれないので、もう一度さらってみよう。買うことは、資本主義での枠の中で、ユーザがなるべく安全に楽しめるものを、購入し時間を費やす。デベロッパはそのユーザをなるべく多く確保できるように製作する必要がある。タダの場合は、ユーザから金銭の足かせが外れるために、比較的自由に楽しいゲームを探索できる。そして嗜好が合わなくても寛大に出来る。同時にフリーは作者側も主役であり、ユーザの意見よりも個人の嗜好を優先しても問題が起きにくい。

そうなると関係はどうなるのか。まず、買う場合と異なり、作者とユーザの規模が小さくなる。嗜好を前面に押し出したものほど、ユーザは絞られる傾向にあるからだ。ただし、絞れば絞るほど該当するユーザの希望は高いレベルで一致することとなり、結果としてその枠の中では稀代の作品としてもてはやされることとなる。大げさに言うが普遍的で優良な作品であれば大衆のヒーロー、英雄となりえるだろうが、稀代でなければ、狂信とも揶揄できるほど宗教的な信者は生まれないだろう。

話が若干オカルトになってしまった。ただ上のような考えもあるということで軽く流してもらいたい。

以上のことから、買うとタダの違いはおおよそ伝わったのではないかと思える。そして最後の章で、今のフリーゲーム界に足りないと僕が感じることへの、ひとつの解決策を提示したい。

最終章:フリーだからこそ許されること

皆さんは今までのフリーライフで、おまけ的な要素で登場キャラクタたちが作中のあり方とは異なって語り合っているものに出会ったことはあるだろうか。

あれはある意味で作者の砕けた地の部分であるともとれるし、キャラクタの一面を深めるための手法であったりすることもある。ただ、僕が言いたいのは『作中とは違った』と感じたかどうかである。

例えば商用でこれをしたとしよう。FF7のクラウドが超絶DQNで「おちんちんびろーん!!」なんていっていたらクレームものである。株価も傾きかねない。それは僕の展開によると、漠然と期待していたエンディング、から大いにそれるからだ。従って商用では、シナリオの脚色にもならない、ラスボスが塵に等しいほど強い敵がいる隠しステージがやっと、ともとれる。これならば『ラスボスの価値ないじゃん…』で済み、またそういったゲームが多いので無意識のうちに許容できるのだ。

ただしフリーではその前提は崩れる。元来作者は何をやってもいいという関係がユーザと成り立っているため、ユーザが実質的な被害を被らない限りは問題とされない。

従って、作者は自身のゲームについて、全体の権利を有し、必要であれば全体の印象を完膚なきまでに壊してもいいのだ!おそらくユーザは不快に思うだろう。この点については後日フリーゲーム論としてさらに設ける必要があるのだが、実はそれも既に不快に思うだけの要因はそろっているのに慣れてしまっているだけ、だと僕は考えている。

話を戻そう。要は、商用では出来ないことをしても(ユーザは逃げるだろうが)許される、ということだ。ノベルゲームにたとえてみよう。『マブラブ』というタイトルが商用で18禁のサウンドノベルとして出ている。これは珍しく商用で世界観をぶち壊した類のゲームだ。最初は学園物かと思いきや、パラレルワールドで宇宙人と戦っちゃうお話である。珍しく商用で成功したが、この類を強烈にしてみる試みも、作者の強い希望があれば尊いものとして取り組むことが出来る。『ひぐらしのなく頃に』は、何も知らない人がプレイした場合は、ほのぼの学校物かと思いきや、人間不信に陥るストーリであるのだ。その驚きは類を見ないものだろう。少し生臭い話になるが、それにならって、純愛ラブストーリーかと思えるシナリオで突然不幸や、性犯罪者に巻き込まれたら、そのストーリーラインはトラウマそのものである。しかしながら、同時に見たこともないストーリーがそこに展開されていくこととなり、その生臭さを乗り越えたユーザは、以後想像もつかないストーリーを歩むことになるのである。これはミステリーのように難しいトリックを考える必要もなく、奇抜さオンリーで立ち向かっていくとも考えられるが、現在のところそういったものはごくごく少数しか見ていない。しかし強烈なインパクトを持つことは事実である。

ユーザーは逃げるかもしれない。少数の方しかプレイしないかもしれない。しかし、本当に(驚愕の意味で)あっと言わせるなら有効な手法だと僕は思う。

本当に長い文章だったが最後の最後に。僕が伝えたかったのは、フリーの土俵にあるが故の懐の深さを知ってもらいたいことである。ユーザは想像以上に寛大なもの、もしくは気にも留めないものであると僕には思えるのだ。精神性だけで評価される場合もある。それも作者が金銭というひとつの欲望を断ち切って、表現という欲望に身をおいたから出来ることである。行き詰っている方はもう一度その可能性を見直して、背筋の震える作品の可能性を模索してみてはいかがだろうか。

あとがき

おはようございます。2時間もカタカタと、今まで考えていたことを書き下ろしてみました。これはフリーゲームの包括する1つの面に過ぎませんが、それでもとてもとても重要だと常々考えております。

今回はやや蛇足な部分もあるかもしれませんが、最近どうにも事細かに書かなければ気がすまない性質になってきています。それも工学のレポートで文学的(あまり育ってませんでしたが)な表現を切り捨て、順次説明していかなければいけないような強迫観念に駆られるようになってきたところで、哲学に関する本なんて読み出した日には、さまざまな可能性をつぶして書かなければいけないような気がするのです。上記でもつぶし損ねたところがありますが、それも気になって仕方がないです。

文章、ただいま14k。原稿用紙15枚分ですね。こんなにも書いて、僕は何を訴えたいかいまいち僕自身理解していないですが、書き留めるという作業はなにか重要なことだと思っています。これだけの文章を読まれる方はいないかもしれませんが、もし読まれたのであれば、そして疑問や反感があれば是非コメントを残していってください。このつたない思考を出来る限り研ぎ澄ましていきたいと思っている次第です。

それでは、フリーゲーム論、一回目『買うとタダの違いとは』を読まれた方はお疲れ様でした。僕もお疲れです。読まれた方にとっても無駄にならないことを祈っています。

2008年4月21日

フリーゲーム論─STGでの感情移入に関する考察─

おひさしぶりです。最近ゲームに関することで考え事をしていて、自分の中で体系化することに多少の成功を感じました。ということで、今回の内容はタイトル通りに、STGでどのように作ればプレイヤーを引き込むことができるのか、についてです。そして、考えの適用範囲は、自機と敵機に限ります。背景や銃弾のシステムは考慮しません。

はじめにですが、フリーゲームを作るとき、必ず人材に困ることと思います。それで少なからず手抜き、といいますか誤魔化しながら完成まで持っていくわけですが、その時STGとして如何なるところに気を使えば、魅力を感じる作りにできるかを考えていました。最初に問題点、次に解決の糸口を、そして最後に僕なりの回答を書いていこうと思います。

注意点ですが、感情移入を簡単に成し遂げたいなら東方から学ぶといいと思います。しかし東方はあまりにも濃いために、学ぶどころかそのまんまコピーになってしまうような気がします。ですのであえて東方から外しているので、萌えとかそういった類の感情移入を期待しないでください。あくまでも、最低限度惹きつけるための条件についての考察です。

製作の際の問題点

まず、3Dなのか2Dなのか、グラフィックはどのレベルで完成させるのか、です。3Dの難易度は言わなくてもいいと思いますが、2Dの時も非常に手間がかかります。それぞれのオブジェクトをプレイヤーに勘違いさせることのないように書き分けなければいけない上に、大抵の場合は敵の行動パターンごとに絵を追加しなければなりません。そして動いている時にそれに伴う画像すなわちモーションが無いと、まぬけな印象を与えてしまいます。ですから、簡単にプレイヤーにその敵の歴史、設計思想を伝えることは難しい、ということです。

次に自機です。人型なのか戦闘機なのか。人型ならモーションが必要です。3Dはとても素人にはできるものではないですし、2Dでもシステムに応じて相当の量が必要になります。戦闘機の場合は、中のパイロットを意識できるシーンはただシューティングをしているだけでは出会えないように思えます。パワーアップして見た目も変わっていく自機を失いたくない、と考えたとしても、それはシステムの一環で当たり前のように起きる感情なので、STGの様式をとっているだけで自然発生するはずです。僕の考えでは、戦闘機ではこれの実現が難しい。

以上の2点です。考え出すときりがないので、今回は簡単に上のものだけとします。

解決の糸口

先の問題点では漠然としていて、イメージがわかないと思います。そこでこれらを基本とした上で、一体何が感情移入を妨げているのか考えてみました。

ずばりそれは、無機質であることがいけないということです。STGに実在感を持たせるためには、有機的な成分をいくらか混ぜなければいけないわけです。

極端ですが、こう考えて見ましょう。東方のオブジェクトを立方体に置き換えてみます。このとき肝心の弾幕に限り変更しないものとしますが、魅力が残りましたでしょうか?多分、残らないかと思います。

もしあなたがそう考えたのであれば、ゲームの本質(弾幕ということにします)は変わらなくても、もっと人の心に訴えるものがあり、それが予想以上に重要だったということです。僕はこれを、『有機的なストーリー』と考えています。

話を元に戻し、一般の戦闘機モノのSTGで考えてみましょう。大抵これらは、敵も戦闘機、ヘリ、未来兵器です。速攻で打ち落とされるのでいちいち中にいるであろうパイロットのことも考えません。金属の塊に人権はなく、いわゆるやられ役に徹します。そして無機質です。動きはどうでしょうか。画面外から来て中央でとどまり弾乱射再び画面外へ。編隊がとぐろをまいて出現画面外へ。高速に画面を左右上下に横断。と、3つのパターンとそれの拡張で表現できるものが多くあります。反対に自機の位置との関係で動きが決まるものは非常に少ないです。この直線的な動きは無機的な印象をプレイヤーに与えます。僕はこのスクリプトで決められた直線的な動きを『無機的なストーリー』と考えています。

現実では有機的なライン、機構を持つものが多くそれが経験則となっていることが多く有ります。例えばある形状にノズルらしいものがついていれば、そこから何かを噴射したり、その運動方向を保つのではないか、と考えます。また、二つの長方形の間を球で接続しているのであれば、そこが関節となって運動するのではないか、と考えます。これらの連想は有機的なストーリーを導き出し、そうであることを期待します。形状は何らかのメタであると知ることで、広がりを感じられるのではないかと思います。

僕の回答

自分の思い描くシステムに有機的なスパイスを適度に加えることです。これはいわば料理であり、目指すシステムに過剰に与えられても、足りなくてもいけません。サイバーな未来なら無機質であってもおかしくはないわけですし、触手に侵略された未来なら有機的に行くべきです。

僕はステージのストーリーラインを、有機的→無機的→有機的に構成するのが一番簡単であると思います。最初にキャラクタが喋ったり、ボス前後でまた喋ったりで十分に感情移入ができるはずです。実際にそのようなケースは多く見られます。このとき中央の無機的なシーンは、ボス戦に向けて加速、トランスさせるという目的を持たせるのがよいのではないかと考えます。歌と同じように、盛り上げるところ、落ち着かせるところ、それをステージなどに合わせトータルで考えるべきです。そうすることにより、全体で有機的なストーリーを見せることができます

最初の問題で長々と語ったこと、それはすなわち、自機や敵を如何に有機的に見せるか、ということです。ですからグラフィックのみで考える必要はないのです。僕はこれらを動き方で有機的に見せればよいと考えます。自機であれば動きのクセを与えれば可能でしょう。敵機はバリエーションがあります。先に言った有機的な動きと、エフィクトを与えることです。ただの立方体でも、ダメージによって色が変わっていく、自機から逃げるように、追うように動く、有機的な弾を射出する、などいくらでも想像ができます。それでも新たにオブジェクトのパターンとして描き下ろすよりははるかに楽です。

僕の考えはざっとこんなところです。まとめると、感情移入をさせるためにはそのゲームのブランド力や一定レベルの生々しさを与えることです。

あとがき

今回のフリーゲーム論は、かなりアバウトな出来上がりですが、こういった世界観とゲームの連結にあたる考え方の指標(?僕からすると自分ごときのは馬鹿らしいような気もするが)を書いてみるのも面白いのかもしれません。

久しぶりの記事でしたが、フリーゲーム論を楽しみに来られる方もいるようなので、暇つぶし程度になれば幸い、新たな発見があれば、僕喜んでいます。それでは有益な情報であったことを望みます。お疲れ様でした。

About ゲーム制作

ブログ「Libertas」のカテゴリ「ゲーム制作」に投稿されたすべてのエントリーのアーカイブのページです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

次のカテゴリはネタです。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Creative Commons License
このブログは、次のライセンスで保護されています。 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス.